当記事は2000〜2001年にかけて季刊誌に連載していたエッセイです。

 
 朝起きると、外は晴れていた。
 
 窓を開けて、ゆっくりと深呼吸する。汚れのない高原の空気が肺の襞を押し広げ、血流の鈍い大脳にたっぷりの酸素が送り込まれる。

 遠くに聞こえていたカッコウの鳴き声が、実は窓の正面にある大木の梢から届いていたことに気づく。次第に嗅覚も蘇活し、朝露に濡れた草のにおいが鼻腔をくすぐる。

 さて、今日はどうしたものか。久し振りに予定の入っていない休日と青い空。窓外の緑をぼんやりと眺めながら、我が頭部に出現した芸術的な寝ぐせを揺らす清風に、しばらく身をまかせてみる。

 考えてみたところで、朝の弱い自分にいきなり名案が浮かぶはずもなく…。とりあえず顔を洗い、朝刊に目を通すことにする。

 少し遅い朝食を取り終えた頃、漸く完全に覚醒した大脳が一つの答えを提示した。

   「自転車に乗ろう」 

 運動不足の肉体が、その決定を大脳に求めてきた。ぼくの身体の筋骨格系が運動したいと訴えている。

 一方で、肺を中心とした内臓系は森林を流れる川風を要求している。

 行き先は決まった。肉体と精神の両方の欲求を満たす絶好の場所があるのだ。ぼくは逸る気持ちを抑えつつ、大きなおむすびを二つにぎり、水筒と共にリュックにしまった。

 
 ぼくの住むアパートから車で数分のところに、千曲川の支流の一つである川が流れている。名を湯川という。浅間山から数キロ東側に下ったところにある「白糸の滝」付近に端を発し、町を南北に貫いている。
  

 真冬には氷点下二十度近くまで冷え込むこの地にあって、通年凍らずに流れるこの川は、独特の佇まいを演出している。

 川の水温が厳冬期でも比較的高いため、外気温が氷点下十度以下になると、その温度差で湯気が立ち昇る。この現象は「湯川」という名の由来にもなっているらしい。

 かつて軽井沢一帯の森林は、浅間山の「天明の大噴火」によって、そのほとんどが死滅したが、その際にかろうじて難を逃れた原生林が今も、北部上流の湯川周辺に小規模ながら残っている。

 したがって、現在の軽井沢の景観を象徴している森林の多くは、明治時代以降に、人の手によって植林されたものである。

 
 人間の生活文化との融合が成された、町中心部の自然環境とは異なり、山間を流れる湯川の渓流周辺には、人籟や人香のない自然が広がっている。

 川の東側には「野鳥の森」に指定されている国有林が小高い山を形成しており、西側にそびえる丘にも深い森が続いている。

 渓流に沿うようにして敷かれた林道はさながら森のトンネルのようである。

 ぼくは今そのトンネルの中を自転車で走っている。

 十五年の歳月を共にしてきた愛車のチャーリー-ぼくは自分の自転車に密かにニックネームを付けて大切にしている-は、その老体に鞭打たれ、ギコギコと必死の形相だ。

 未舗装の荒径を駈けるチャーリーが小石に乗り上げる度に、リュックの中の水筒がコツコツと背中を小突いてくる。

 それにしても、この森は一体どうなっているのだろう。このような大音響に囲まれたことは初めてだ。 

  「カナカナカナ、カナカナカナ…………」

 ありとあらゆる方角から降り注いで来る、かつて経験したことのないヒグラシの大合唱。ヒグラシの鳴き声が大好きなぼくには、たまらない時間ではある。

 ところが、次第に通い慣れているはずのこの林道に対して、妙に馴染めないような、違和感のような感覚が沸き起こってきた。

 頭上を覆う夥しい数の葉が日光を遮り、昼間とは思えぬほどの暗さ。そして林床を隙間なく埋め尽くす下草たちの群れ。

 ついこのあいだここを訪れた時は、まだ周囲は新緑で、葉の密度も今よりずっと少なかった。

 オオヤマザクラを発見し、その姿に見とれたあの頃は、右手の斜面も、左手の川辺ももっと先まで見通しが効いて、全体が明るかった。

 この辺りは熊の生息地(動植物保護区域)でもある。ハイカーの中には熊よけの鈴を鳴らしながら歩いている人もいる。

 地元の資料によれば、熊の行動範囲はこの林道には及んでいないのだけれども、用心するに越したことはない。森林環境の変化によって予測外の行動をとる例は枚挙にいとまがないのだから。

 ただ基本的に熊は臆病なので、こちらの存在を音などで知らせておけば、まず近づいて来ることはない。お互いに気づくのが遅れて、ばったりと出会ってしまうのが一番危険なのだ。

 春から初夏にかけての森ならば、かなり遠方まで見通すことができた。動物の気配を感じても、お互いの距離を確認することができる空間があった。

 ところが、きょうの森は深い緑の陰翳に覆い尽されてしまっている。これでは熊の接近を察知することなど全くできないではないか。

 加えて枝や草を踏みしめる熊の足音も、ヒグラシの壮大なコーラスに完全にかき消されてしまうだろう。

 鬱蒼とした緑の集合体は、暗い蔭を至る所に作り出している。見上げれば、空は高木の葉の間に僅かな青を見せるだけ。

 どこまでも遠く、たよりない空。その高木の葉は薄い緑色をしているが、低木の密集する周囲も、その向こうの川沿いの林も深い濃い緑と黒の世界だ。

 光の届かない深海にいるような孤独感。野生の自然への畏怖。

 チャーリーを走らせる動作に付随する、全身の筋運動に伴う心筋の収縮とはまだ別の種類の鼓動。交感神経が騒擾しているのが分かる。

 ぼくはおそらくは生まれて初めて、今この瞬間、森を怖いと感じた。

 それでも、チャーリーに付いている鈴を鳴らしながら、ぼくの中の不安と好奇心が交互にぺダルを踏み続けてゆく。

 左手に広がる渓流沿いのハルニレ林は濃い緑に覆われ、その向こうに流れる川を全身で覆っている。

 普段なら耳に届くであろうせせらぎは、膨大なヒグラシの声量の下に埋没している。

 
 ところで、このヒグラシには不思議なことが多い。「日暮し」「蜩」とも書く。カメムシ目(半翅目)セミ科に属する日本固有種の昆虫である。

 季語は秋なのに、実際には六月から八月にかけて鳴く夏の虫である。

 一般に曇天や夕暮れ時に鳴くことが多いとされており、確かにヒグラシの鳴き声に田園地帯の薄暮を想起したり、ある種の涼しさを感じる人もいるのではないだろうか。

 鳴き声の方言も多彩だ。関東では「カナカナ」、長崎、熊本で「カンカン」、岩手で「コゴコゴ」、高知で「チンチンカンカン」、岐阜で「ケタケタババー」など。

 その生態には依然未知の部分が多く残されている。

 六、七年の土中生活やその後の夜間の羽化、そして成虫に与えられた僅か二週間の命。

 その間、彼らは子孫を残すため、異性とのコンタクトに命を燃やし続ける。その必死の叫び声は、我々人間にとってはまるで風鈴のように、情景や想い出の片隅を彩る些事に過ぎない。

 ヒグラシに限らずぼくたちは、普段自分たちより小さな命や動かない命などにその意味や時間を考えることはほとんどない。

 今、この森の主役は間違いなくヒグラシたちだ。野鳥のさえずりはすっかりかき消され、木々もこうべをたれて黙っている。

 ここに住む小動物たちの聴覚は、少なくとも危険を察知するという目的においては役に立たないだろう。それほどの大音量なのだ。

 その短い一生の中でさえ、脇役を演じることの多いヒグラシだが、きょうという一日は、彼らのためにこの森は存在しているようだ。

 さしずめぼくは画面の端を横切るエキストラといったところか。

 
 林道はどこまでも緩やかな昇りが続いており、数キロ先の有料道路とぶつかる所で終わる。湯川はその間もずっと寄り添うようにして流れており、途中にいくつかの人工滝が設けられている。
 
 渓流を左下に見下ろして、崖を削るようにして作られた道に姿を変えた林道は、傾斜が少し急になってきた。

 ぼくはチャーリーのギヤを変えながら走る。それでも運動不足の下肢は小さな悲鳴を上げ始めている。

 やがて大腿四頭筋に次いで膝関節までもが泣きごとを言ってきたが、もう少し堪えてもらうしかない。既にギヤは一番軽い状態になっているのだ。
 

 標高が千メートル以上ある山の涼風と湿った川風が、背中の汗を瞬時に冷たくする。ごつごつした地面の起伏をなぞるタイヤが、サドルを通してぼくの臀部に振動を伝える。若かりし頃よりも少し小さくなった大殿筋が徐々に疲弊してゆくのが分かる。

 心臓が激しく波打ち、肺が大量の酸素を全身にくまなく供給する。この酸素は、周囲に群がる無数の葉が放出したばかりの、とびきり新鮮なものだ。

 マイカーや大型バスが行き交う軽井沢の観光中心部は、夏ともなると都会並みの排気ガスに覆われる。

 しかしここでは、常に原始の大気が生み出されている。森全体が透明なベールに包まれ、汚染された空気を遮断しているかのようだ。
   
   「ここの空気には、何か特別な力が宿っている」

 ぼくはそう信じて疑わない。体調が思わしくない時などは、この森に数十分いるだけで、回復してしまうのだ。

 その真の原因が、本当に森が吐き出す空気自体に在るのか、あるいは森の精霊のいたずらなのか、それともそういう思い込みがもたらす一種のプラシーボ効果なのかは、この際どうでもいい。

 要は自分にとっての「究極の癒しの場」を持っているということが大事なのだ。

 しかしきょうは、「癒し」が目的ではない。マイナスからゼロにする作業ではなく、ゼロからプラスにするために来た。

 骨格筋が有酸素エネルギー代謝を活発に行えば、それにつれて生体の酸素要求度も増えてくる。すなわち運動による心拍数の増大は、通常よりも大量の酸素を得る最も簡便な方法なのだ。

 きょうのぼくは運動しながら、尚且つ不思議な力を持つこの森の空気を、可能な限り大量に摂取し続ける時間を過ごしに来たのである。

 
 最後の急傾斜の連続カーブを登り切ると、視界が開け、舗装された一般道路に出た。

 そこをつき抜け、再び小さな林道を少し走ると、昼食をとる予定の場所へと着いた。少し開けた空間は眩しく、高原特有の強い陽射しに満たされている。

 チャーリーから降りると全身から汗が吹き出してきた。シャツを脱いで上半身裸になり、汗を拭く。山の風が素肌をさらりと撫でる。

 大腿部の筋群は、決して不快ではない膨張感と張りに満たされている。心地よい疲労感と緑のにおい。

 眼前には、浅い透明な小川と丘。ぼくは高木の下にある木製ベンチに腰掛け、おむすびをほおばった。

 頭上では、ヒグラシたちが鳴き続けている。

     「カナカナカナカナカナ……、カナカナカナ…」

2000年 7月

(C)2001年 三上敦士




↑左は湯川。右は湯川に沿って走る小瀬林道。ここをチャーリーで走り抜けた…

「軽井沢/エッセイ」-目次(リンク表示)

ミレニアムの夜明け
音楽療法
天明の大噴火
自然と五感と恋心
青天の霹靂
湯川の森-ヒグラシの調べ- 
湯川の森-精霊のウィンク-
コスモス畑
稚児池 
10 避暑地の猫
11 最終章Ⅰ-動機- 
12 最終章Ⅱ-痛みとプラセボ効果-
13 最終章Ⅲ-心と痛みの関係-
14 最終章Ⅳ-生きる-


(C)2001三上敦士