当記事は2000〜2001年にかけて季刊誌に連載していたエッセイです。

 
 遥か彼方の地平に横たわる山々が、徐々にその稜線を現してきた。

 ついさっきまで東の夜空を埋め尽くしていた星たちの姿は既にまばらである。
 
 太陽はいまだ顔を見せない。しかし一つまた一つと星たちを消してゆく。同時に空の色をもゆっくりと塗り替えてゆく。 

   「日の出まで、あと何分くらい?」

   「あと三〇分くらいかな」

 妻のねだるような問いかけに、ぼくは寒さに声を震わせながら答えた。

 峠の頂にあるこの見晴台は、百人前後の見物人で埋まっている。

 本格的なカメラを三脚に据えてじっと待つ人、眠たそうな子供を抱える家族連れ、時折奇声を発する若者のグループ、静かに寄り沿うカップルなど、様々な人々が皆同じ方向を眺めている。

 分厚い防寒着に身を包んでいても、冷気が身体の芯まで侵入してくる。唯一つの露出部である顔が痛い。

 止みかけの小雪が舞う中で、ぼくたちはミレニアムの夜明けを待っていた。

 
 昨夜の天気予報では、ぼくの住む県全般は厚い雲に覆われ、山沿いでは雪の所もあるだろうということだった。

 二千年の初日の出は残念ながら見ることができそうにないなと諦めていた。残念ながらというのは、妻の気持ちを代弁したもので、ぼく自身はあまり気乗りしていなかった。
 

 西暦二千年という節目の出来事だとしても、「日が昇る」という極めて普遍的な現象にどんな意味があるというのか。しかもこの地は車中に置き忘れたミカンが翌朝には完全に凍ってしまうほどの寒冷地である。

 重度の冷性であるぼくにとって、妻の提案は歓迎されざるものだった。

 ぼくは東京オリンピックの次の年に、その開催地で生まれ、その後の高度経済成長時代からバブル崩壊までの数十年間を同地で過ごした。

 その後多少の曲折を経て、一九九八年の春、山々に囲まれたこの高原に住まいを移した。仕事の都合とかではない。少々訳有りで、それまでの仕事を辞めてここに来た。

 生来寒さに弱い自分が、何故好き好んでこのように寒い土地に来てしまったのか。そしてこの高原とは一体どこなのか。もし、この拙稿の連載が許されるのなら、追々に明らかにしていきたい。

 
 さてさて、紅白歌合戦を見た後の天気予報には、がっかりとさせられたわけだが(くどいが妻だけ)、布団にもぐった後も妻のほうは諦めていない様子。

   「ねえ、もしかしたらあの見晴台なら拝むことができるかも…」

 その見晴台までは車で二〇分程度の距離だが…。

            「…うん…」

 ぼくは曖昧な返事をした後、寝たふりを決め込んだ。

 しかしその数時間後、妻がセットした目覚まし時計が、無情にもぼくの聴神経を激しく揺さぶった。スイッチを止めて妻の顔を覗きこむと、気持ち良よさそうに寝ている。

 心臓を一瞬止めかねないほどの音にも、どうして目を覚ませずにすむのか、不思議というか幸せな方だと思いつつ、起こすべきか否か悩んだ。

 このまま寝てしまえば、妻も一緒になって朝まで起きないだろう。外は零下十度の世界だ…。

 「無意識に止めてしまい、また寝てしまったようだ」という言い分けなんてどうだろう。いやいや「どうやら鳴らなかったようだね。きちんとセットされていなかったんじゃないか」の方がいいだろうか。

 ところが、そんなぼくの密かな奸計も知らずに、妻は静かな寝息をたてている。子供のように純真無垢な寝顔を見ていたら、やはり起こさずにはいられなくなってしまった。

   「おーい、どうする。ほんとに行くのか」

 寝ぼけまなこをこすりながら起き上った妻は、カーテンを開けて、「わー、雪だあ」と喜んでいる。「そのリアクションはおかしいだろ」と訝るぼくに

   「でも、きっとあそこに行けば大丈夫よ」 

 と自信有り気にのたまうのだった。

 かくして、車に乗り込んだぼくたちは県境にある峠の頂上をとりあえず目指すことにした。本当にお日様は顔を出してくれるだろうか。左右に揺れるワイパーの先は雪である。

 
 以前にも今回と似たような不安な気持ちで、夜の見晴台を目指したことがあった。あの日も天気予報ではあまり期待できない状況だった。

 にも拘わらず意想外の晴夜を見ることができた。生まれて初めて「流れ星」というものを見た。いや、それ以前に夜空に輝く星々がいかに壮大で美しい光景を作り出すかを初めて知った。

 都会では決して見ることのできない、そして感じることのできない世界があった。恐ろしく巨大なプラネタリウムの中にいるかのようだった。「しし座流星群」がぼくに教えてくれたものは、「流れ星」ではなく、「宇宙」だった。

 
 相変わらずワイパーは忙しい。しばらくして車は峠道に差しかかった。すると坂道の右手に林立するカラマツの向こうに星空が見えてきた。

 しかし相変わらず外は雪である。上空は雪なのにあちらの空は晴れている。そうなのだ。ここはそういう所なのだ。

 この先の峠を境にして、手前側の我が町と向こう側の地域ではまったく気候が違う。川端康成の名句を地で行くような場所なのだ(あの小説に書かれた場所とは違うけれど)。

 俄かに期待が高まってきた。ひょっとすると妻の願いが叶うかもしれない。

 それからほどなくして目的地に着いた。普段は人気も少ない峠の頂上付近にびっしりと車が停まっている。ぼくたちは車を降りた後、懐中電灯で石段を照らしながら少し歩いた。

 すると、辿り着いた見晴台からは、遥か東の方角に満点の星空を望むことができた。

 「ねっ、大丈夫だったでしょ」 

 妻は着膨れした防寒着の上にちょこんと乗せた小さな顔をほころばせた。新聞発表の日の出時刻まであと小一時間ほどある。ぼくたちは空いているベンチに腰掛けてご来迎を待つことにした。

 さきほどまで本格的に降っていた雪は、すでに桜並木に舞い散る花びらである。

 標高一一八〇メートルの峠の見晴台は、一八〇度以上のパノラマを望むことができる。東から南そして西北までを見渡せるが、南から西にかけては星はまったく見えない。やがて空の色が黒から群青色へと変化した。

 次第に風景の輪郭も識別できるようになってきた。雲さえなければ、右手後方(西側)には今も現役の活火山を、同じ右手の遥か遠方には北アルプスの山景を望むことができるだろう。

 しかし、それらの位置する方角は灰色に埋まり何も見えない。

 視線を中央やや右手に移してみる。そこには奇岩を擁する小高い峰続が深い霧に半身を浸して佇んでいる。その左手に広がる平野の上空、つまり東空には雲一つ見当たらない。

 …やがて、その平野を隔てた向こう側に連なる山並の稜線に沿ってオレンジ色の筋が走った。あの向こう側に表面温度五八〇〇度の恒星が控えているはずだ。

 その恒星から放出される光は一億五千万キロメートルを旅して、ぼくたちの眼前に広がる空の色を少しずつ変えている。横に長く伸びたそのオレンジ色の筋の真上に、鮮やかな翡翠色の筋が細く伸びている。

 その上にある水色の層は更に上に行くに従い、徐々に濃い色に変わり、やがて深い藍色の世界となる。

 もはや星は一つも見出すことができない。日の出まであと一〇分を切った。ぼくたちはベンチから立ち上がり、直立不動無言のまま東の一点を見つめた。

 
 数分後、そのオレンジ色の筋が短くなると同時に中央が丸く膨らみ出した。その中央の明るさが次第に増してゆく。しかしまだ太陽は出ない。

その上空は水色の層を一気に拡大させている。ほとんど昼間の空色に近い。

 そして午前六時五六分、ついにオレンジ色の膨らみの中心直下に強く輝く金色の光が、小さな点となって出現した。その点はみるみるうちに半円形となり、その周囲に紅色の光彩を放射させ、まぶしさを増してゆく。

 そして次の瞬間その光は完全な円形となり、宙に浮かび上がった……。

 そのまま日輪は昇ってゆく。地球が自転をやめることはない。切りつけるように冷えた大気に幾筋もの光芒が降り注ぐ。それらの温もりは、やがて木々や落ち葉に積もった雪を溶かすだろう。

 白い地面に人々の影が長く伸びてゆく。新たな年を迎えた早朝、峠の見晴台に歓声が響き渡っていた。

 ふと隣にいる妻の顔を覗いてみると、頬が薄紅色に映えていた。目を合わせた妻はぼくの顔を見るなり、「鼻水が出てる…」と言って笑った。そんな妻に、声にならない「ありがとう」が胸の中でこだましている。

 さあ家に帰ろう。あたたかい雑煮がぼくたちを待っている。

2000年 2月

「軽井沢/エッセイ」-目次(リンク表示)

ミレニアムの夜明け
音楽療法
天明の大噴火
自然と五感と恋心
青天の霹靂
湯川の森-ヒグラシの調べ- 
湯川の森-精霊のウィンク-
コスモス畑
稚児池 
10 避暑地の猫
11 最終章Ⅰ-動機- 
12 最終章Ⅱ-痛みとプラセボ効果-
13 最終章Ⅲ-心と痛みの関係-
14 最終章Ⅳ-生きる-


(C)2001三上敦士