当記事は2000〜2001年にかけて季刊誌に連載していたエッセイです。

 
 星にも生と死がある。ぼくら人類にとって気の遠くなるような年月を生き、そして死んでゆく。             

 例えば太陽のような恒星の場合、その星の質量によって寿命が決まっている。質量が大きいほど短命で、小さければ長寿となる。太陽くらいの質量の星はおよそ百億年。  

 太陽とほぼ同時期に誕生した地球は、四十六億歳と推定されている。太陽は死を迎える時、金星軌道まで膨張し、やがてガス状に拡散して消滅する。

 当然地球も運命を共にすることになる。したがって地球の寿命はあと五十億年くらいといわれている。

 地球が一億歳の時、弟(あるいは妹かもしれない)ができた。その弟は質量が小さすぎたために、大気をつなぎ止めておくことができなかった。

 やがて死んだも同然の星になってしまったその弟を、地球は今もやさしく見守り続けている。人はその星を「月」と呼ぶ。

 やがて地球上に生命体が出現し、爆発的な進化を遂げてゆく。しかし今までに十八回の大きな絶滅を経験したといわれている。ほぼ二千八百万年周期で繰り返されてきた生命の絶滅を、地球はどんな思いで見つめていたのだろう。

 仮に地球を「たま」という名の女性だとする。たまさんは宇宙から飛んでくるコズミックダスト(宇宙のごみ)、放射線、紫外線、電荷を帯びたプラズマ等から身を守るために、透明な厚化粧(大気圏)をしている。

 ちなみに、そのプラズマが大気圏に衝突した際に起きる現象がオーロラである。

 ところが、最近その厚化粧の一部に「オゾンホール」という名の巨大な穴が開いてしまった(大気圏内にあるオゾン層は有害紫外線の侵入を防ぐ役割を担っているが、その減少は全地球規模で進行している)。  

 ヒトが「地球の肺」と呼ぶ熱帯雨林は、かつて全陸地の十四%を占めていた。今はわずか六%にすぎない。近年においても、毎年日本の面積の約半分が消失している。 

 たまさんは近頃肺の調子が悪い。二酸化炭素を吸収してくれるはずの森林があまりにも急激に減少してしまったからだ。その二酸化炭素の増加は体表温度を上昇させ、北極の氷を急速に溶かせ始めている。

 更に、それらは彼女の乾燥肌を悪化させる遠因にもなっており、毎年世界中で九州と四国を合わせた広さの土地が砂漠化している。 

 ヒトが作り出した「コンピュータ」の解析によれば、現在進行している地球温暖化の原因が、たまさんの自然生理現象である確率は二%にすぎないそうだ。

 彼女も自分の身に起きている様々な自律神経失調症状の原因が、ヒトにあるのではないかと思い始めている。

 そんなたまさんを憂鬱にさせるもう一つの要因に「核」の問題がある。ヒトが行ってきた二千回以上の「核実験」による傷がいまだに完治せず、しかも「核兵器」や「原子力発電所」の存在が、あの悪夢のような痛みの記憶を甦らせてしまうのだ。

 なにしろ自分の肌の上に、今もニ万基以上の核弾頭と四三六基の原発が存在しているのだから。

 しかしたまさんも黙して耐えているばかりではない。時々皮膚を動かして、ヒトの作った箱物を壊したりする(地震)。

 化粧の手入れの最中に、大気を強引に攪拌させて肌の表面を暴風雨で洗い流そうとする(台風)。

 ヒトの叡智の追いつかない細菌やウィルスを送り込んだりする。

 ニキビ(山)を破って燃え滾る熱い血を噴き出させることもある(噴火)。

 このようにあらゆる手段を駆使して抵抗し続けている。

 …昨今のニュースは、このように童蒙の如き空想に耽る時間をぼくに齎してしまう。

  (当エッセイで記述される数値は平成十一年現在のもの)

 
 世界有数の火山国日本には、全地球上の一割に相当する活火山が存在している。

 文部省測地学審議会は、平成五年の第五次火山噴火予知計画の策定にあたり、全国八十六火山の中から「活動的で特に重点的に観測研究を行うべき火山」として十三火山を指定した。

 それらは十勝岳、樽前山、有珠山、北海道駒ケ岳、草津白根山、伊豆大島、三宅島、伊豆東部火山群、阿蘇山、雲仙岳、霧島山、桜島、そしてぼくのアパートの後方に黙然と聳え立つ浅間山である。

 その浅間山の麓に住む者にとって、今春噴火した有珠山周辺地域の惨状は人ごとではなく、軽井沢の町役場に設置された被災地救援募金箱を通して、ぼくも微力ながら支援させて頂いた。

 《この拙文を認めている今は四月中旬であり、今後の展開には未だ予断を許さない状況にありますが、被災地の方々に対し、心からのお見舞いを申し上げますとともに、一刻も早い火山活動の終息と生活基盤の復興をお祈り致しております。》

 
 ところで此度の有珠山噴火直後には、政治の舞台も突然の激震に見舞われたが、天災が政治や社会の動向に影響したと考えられる事例は他にも多く残されている。

 ごく身近なところで浅間山を例にとってみると、そこには澎湃たる時のうねりのあわいに現出した天啓を見出すことができる。

 江戸時代の天明三年(一七八三)、浅間山は歴史に残る大噴火をした。

 新暦の五月八日に始まった噴火は、小噴火を繰り返しながら八月を迎え、運命の同月五日午前十時頃、突然大爆発をした。

 その鳴動は関東一円に響き渡り、凄まじい火砕流が群馬側の村村を焼き尽くしていった。世界三大奇勝地の一つに数えられる「鬼押し出し」は、この時の所産である。  

 特に鎌原村においては、村民の八割にあたる四七七人が高さ十メートルの岩なだれの犠牲になり、高台にある観音堂へ避難した九十数名だけが助かった。

 この観音堂へと続く生死を分けた石段は、現在も地表に十五段だけを残して当時の悲哀を伝えている(この惨害後、自分の農地を生涯離れることを許されなかった小作人たちは、家族の遺体が地下に眠る同地に村を復元させている。

 夫を失った妻は、妻を亡くした他の夫と再婚し、子供を亡くした親は、親を失った他の子供をひきとり、新たな家族を次々に再生させ、噴火堆積物に覆われた乾燥の荒土に農村を甦らせていった)。

 被災範囲は更に拡大の様相を呈してゆく。

 麓の吾妻川に流れ込んだ岩なだれは、大規模な熱泥流となって上流の周辺部落を次々に飲み込んでいった。その被害は利根川流域にまで及び、家屋の残がいや遺体が江戸にまで流れ着いたほどである。

 余談だが、俳人小林一茶が噴火直後の体験を詳細に書き残している。 

 最終的には死者千百五十一人、流失家屋千六十一戸の未曾有の大被害をもたらした「天明の大噴火」は、その後の人間社会に多種多様な影響を与え続けることになる。

 噴火前年の冷害に加え、関東甲信越から東北地方の広範囲に降った火山灰が、凶作と共に大量の餓死者を招き、「天明の大飢饉」(弘前藩だけでも十三万人の死者を出している)を決定付けることとなった。

 各地で民衆一揆が多発し、江戸の治安も乱れていった。そして噴火の四年後には、老中の田沼意次が賄賂政治の不評と庶民生活の混乱を背景に失脚に追い込まれ、松平定信による「寛政の改革」が成されてゆくのであった。

 
 影響は国内にとどまらない。噴煙は高度一万メートル以上まで達し、成層圏に噴火微粒子を滞留させた。その同年、浅間山と協調するかのようにアイスランドのラキ山が爆発した。

 両者が噴出させた数ミクロンの微粒子は偏西風に乗って拡散し、北半球をすっぽりと覆ってしまった。この現象は数年間も持続したため、記録的な低温が世界各地を襲うことになる。

 この時期、欧米諸国は激動の時代の只中にあった。

 産業革命が進むイギリスの強権化に対して、反旗を翻したアメリカの独立戦争が終焉を迎えていた。一方、その戦争を支援していたフランスは、深刻な財政難に陥っていた。

 そこに浅間山とラキ山の大噴火である。異常気象による凶作がフランス国民の窮乏生活に拍車をかけていった。それらは身分制社会のひずみを浮き彫りにさせる結果となり、ついには貴族に対する民衆の不満が爆発し、フランス革命が勃発することになる。

 

 このように地球が気まぐれに起こす天変地異は、幾度となく世界の歴史を動かしてきた。それらは地球と人との共同作業だったと換言することもできるのではないだろうか。  

 しかし、人によって歪められた現在の地球環境が、これから先も人類の歩みを陰に陽に支えてくれるという保証はどこにもない。いかに寛大なたまさんといえども、堪忍袋の緒が切れたらどうなるのか誰にも分からないのだ。 

 麓に暮すぼくたちは、今日も白い噴煙を吐き出す浅間山に、

    「もうしばらくの間、そのまま眠っていてくださいね」

と、祈るような気持ちで眺めている。

2000年 4月

「軽井沢/エッセイ」-目次(リンク表示)

ミレニアムの夜明け
音楽療法
天明の大噴火
自然と五感と恋心
青天の霹靂
湯川の森-ヒグラシの調べ- 
湯川の森-精霊のウィンク-
コスモス畑
稚児池 
10 避暑地の猫
11 最終章Ⅰ-動機- 
12 最終章Ⅱ-痛みとプラセボ効果-
13 最終章Ⅲ-心と痛みの関係-
14 最終章Ⅳ-生きる-


(C)2001三上敦士