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大宮で開業していたとき、最後の1年間に認めていたブログ日記

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 さいたま市の大宮駅近くに構えていた自院。それを2010年に氷川参道沿いに移転。冒頭の写真はその待合室です。カフェが隣接していたことから、お隣さんのコーヒーが飲めるライブラリーカフェ仕様(外景を望める全面窓ガラス)に。

で、下が外の景色。

大宮の氷川参道沿いにあった三上理学施療科

 医療、健康、癒しをテーマにした数百冊の書籍をディスプレイ。氷川参道の森を眺めながら、ヒーリングBGMと珈琲の薫りに包まれて…。

 イギリスから遊びに来た企業コンサルの友人が「これ(待合室がライブラリーカフェになっている治療院)をロンドンでやったら大ブレイク間違いなしだよ」と驚嘆…。

 院内はこだわりの無垢材と電磁波カットの壁内仕様。かつて建築学科に身を置いていた私は図面の創案はもちろん、あらゆるテクスチャーにこだわり抜いて小さな家が買えるほどの設備投資…、つまり借金を。

三上理学施療科

 その翌年の東日本大震災がきっかけとなり、返済がおぼつかなくなり…、ついには実家に戻る決心を。

 2003年から10年に及んだ大宮での開業生活が終わりました。

 自院をたたむ決断までの1年間、その過程において様々な葛藤と懊悩のなかで見出した「光の解釈実践法」。

『自分の人生には截然たる理由があって、何がなんでも実家に戻らなければならなかった…。ずっと疎遠だった両親のそばに寄り添う必要があった』

 ゆえに大宮で成功するシナリオなど、最初から存在しなかった…。もし大宮で成功していたなら、天狗になった私は最後まで両親の存在を、父の真のやさしさを、母の頑迷なるも不器用な思いやりも、そのすべてを知らないまま終わっていたでしょう。

 実家に戻らなければならなかった人生の意味…、それは光の解釈によって初めて私の心に刻まれることになりました(そこに至るまでは“いばらの道”でしたが…)。

 そんな気づきの世界に足を踏み入れ始めたまさにその貴重な時間-大宮生活最後の1年間-の足跡です。

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