→「“病院”で生まれ育った?その2」

 かつて整形の外来や物療室の片隅でカウンセリングをしていたとき、学生時代にはまっていたフロイトやユングへの興味は既に失せていて、当時の最先端「行動科学」の本やら、精神医学や心理療法の本などを片っ端から読み漁ってたんですが、当時の私にとって一番響いたのは「森田療法」でした。

 森田正馬氏の人間性にも惹かれ、かなり熱中した時期がありました…、んでもってそれをベースに独自のカウンセリングを。

 その後、行動療法から認知療法へ、そして認知行動療法へと時代の波に沿って様々な手法を採り入れていきました。

 ただ、カウンセラー世界の格言に「未熟なカウンセラーは子供をもってはいけない」というのがあって、自分もまさしくストライクだなといつも感じてました。

 今にして思えば、ちょっとした問診で断片的な情報と心理学の知識から、患者さんの深層を見抜いたような気になって、「…だから、そこなんですよね、そこを変えていかないと本当にむつかしいと思いますよ」みたいな、上から目線のカウンセリングをしては患者さんを傷つけて…。

 そして結果が伴わなければ気力を奪われるほどの消耗感、漬物石を頭に載せてるような疲労感に襲われて、そんな自分のネガティブオーラは最終的に家族を直撃…。

 精神労働というものがどれほど自身の脳疲労を悪化させるか、いかに家族がその被害を被るか、そして何より患者さんの助けになりたいという思いが究極的に空回りするという後味の悪さ…。自分の愚かしさ…。

 自分も家族も、そして肝心の患者さんにとっても、誰も望まない結末。

 そんななか私の運命を変える患者さんとの出遭いがあり、それを契機にして「カウンセリングするのを止めた」んです。もちろん言葉通りの意味じゃないですよ。

 要は〇×療法だとか、〇×式だとか、教科書に載るような流行りのテクニックを一切止めて、トークセラピー(会話療法)に軸を置きつつ傾聴に徹する手法に改めたんです。

 するとカウンセリングを終えた後の患者さんの表情が、以前とはまったく違って、重たい何かから解き放たれたような晴々とした笑顔になる、そんな方が徐々に増えていきました。


 前回の記事「その2」でも話したとおり、人間における個人差という次元は本当に底が見えないほど深いです。

 人間と動物の最大の違いは何か?という問いには言語、知力、理性等々色々と言われてますよね、もちろんそれらの一つ一つには相応の説得力があるように感じますよね。

 でも私の答えはまったく違います。動物世界の中で人類が人類たる最大の所以は「個体差」だと思っています。

 100メートルを9秒台で走るヒトもいれば、20秒以上かかるヒトもいる。42.195キロを2時間たらずで走るヒトもいれば、5時間以上かかるヒトもいる。

 難解な方程式を数秒で解いちゃうヒトもいれば、一生かけても解けないヒトもいる。数十人前のどんぶりを食べてしまうヒトもいれば、数十年以上も水だけで生きているヒトもいる。こんなに激しい個体差を有する動物が他にあるだろうか?

 前回の記事で「西洋医学は個体差を無視する学問」だと言いましたが、精神医学や現代の心理療法にもその弊害は見て取れます。一人一人まったく違う様々な要因が複雑に絡み合っているのに、現代医学は常に平均化して一括りにした概念の下にヒトを当てはめようとする。

 教科書を絶対視する真面目な医療者ほど、自分が学び得た学問を神格化して、目の前の患者さんをその下に置いてしまう傾向が。

 そうした流れの根底にあるのは個人差無視という医学の負の側面だと思っています。私を含め多くの医療者は患者さんのことを分かった気になってはいけないんです。自戒を込めて…。


 ヒトは話すことで自身の思いが整理され、会話することで癒されます。仙人のように山奥に独りこもって云々というのは例外中の例外で、人間の脳は基本的にコミュニケーションによって発達し、そして維持されるんです

 コミュニケーションを完全に排除した乳児および高齢者に見られる悲惨な顛末がすべてを物語っています。とくに対面での会話というものがどれほど心身を癒すかは数々の認知科学の実験が証明しています。

 さらにコロナ禍にあっては、対面コミュニケーションやスキンシップが大幅に制限された状態が続いており、これは人類がかつて経験したことのない異常事態だと言えます。

 
 私はこれまでの30年に及ぶカウンセリングのなかで本当に多くのことを学びました。患者さんに教えられました。その結実は「良きカウンセラーというものは良き聴き手である」という唯一無二の答えです。

 聴く力には3つの要素があります。タイミングと距離感と気づきです。さらにその土台を成す最も大事なマインドセットとして「相手の尊厳を守り敬う気持ち」が不可欠です。私はこうした手法を「敬意傾聴カウンセリング」と呼んでいます。

 これについて語っていくと、ここから3時間くらいの話になってしまう(苦笑)ので、今回はこのへんで止めておきます。

 以前の記事「病院で生まれ育った?(その1)」でお話したように、私は都内の救急外科病院の中で幼少期を過ごしました。遊び場所は病棟、遊び相手は看護師さんや患者さん、そして付添婦さん。今は廃止になっていますが、昭和時代には患者さんの身の回りの世話をする職業婦人「付添婦」がおられました

 
 今にして思えば、当時の付添婦さんは患者さんの話し相手として、優れた傾聴能力の持ち主(聴き上手の方)が多かった…。そう、私にとってのお手本は幼少期の記憶の中に既にあったのです。