当記事は2000〜2001年にかけて季刊誌に連載していたエッセイです。


 前回著した湯川の森。

 その渓流に沿うようにして敷かれた林道は自然の息吹に充ち満ちている。ある時は林道の脇に停めた車中で、半日以上読書に耽る。またある時は川のほとりにしゃがみ込んだまま、何時間も冷涼な川風に身を浸す。

 もう幾度となく通い続けているので、ひょっとすると森の精霊に顔を覚えられているかもしれない。

 八月某日、観光避暑地はその最盛期を迎え、町内の国道は灰色のガスと金属の塊で埋まっていた。動かない車の列を尻目に、ぼくは愛車「チャーリー」に乗って湯川の森を目指した。

 緑の風に全身を激しく曝されたい気分だった。

 ところが森に着いてみると、冷たい一陣の風とともに突然の遠雷。家を出た時は快晴だったのに、まさかという思いと、やはり来たかという思いが交錯する。

 山の天気の機嫌だけは本当に分からない。やや離れた西の上空は、黒く染まった綿菓子のよう。

 ほどなくして葉に落ちる雨滴の音が、微かに聞こえてきた。頭上の密集した葉は少々の雨なら路上を濡らさない。ぼくは構わずペダルをこぎ続けた。  

 しかしその数分後、

    「ザザザザザザ…」

 突如周りの森が騒ぎ出した。その音がものすごいスピードで近づいてくる。一瞬何が起こったのか分からなかったが、それが無数の葉を一斉に叩く雨声だと気づくのにさして時間はかからなかった。

 慌ててチャーリーを道端に停め、念の為携帯していたフード付きの防水ジャケットを着込んだ。そしてその直後、葉の上に溜まっていた膨大な量の雨滴がどっと落ちてきた。

 雨はいよいよその勢いを増し、森は無口になった。それを見た雨雲はいっそう得意になって強烈な排泄の悦楽を味わうかのように、身内にある全てを解放させ続けていた。

 ぼくは、なるべく葉の多く密集している木を捜して雨宿りすることにした。

 高木の葉間に覗く南の空は青い。この驟雨もじきにやむはずだ。林道から逸れて数歩森の中に入ったところにある、葉の密度の濃い低木を選び、その木の下でじっと雨がやむのを待った。

 林道の降り方に比べれば随分少量ではあったが、それでも雨粒は容赦無く全身を打ってきた。

 からだの温もりが急速にさめてゆくのが分かる。手足の先がつめたい。直立した姿勢を保ち、なるべく雨の当たる面積を小さくすることを考える。

 
 視界には濡れ渡った暗い森。

 足元を川のように流れる水と大きな葉を広げたシダ類の群生。幾つもの腕を四方に伸ばしている低木と葉の群れ。その先にはまるで大きな暗い穴が無数に存在しているかのような実体の不確かな闇。

 雨のせいだろうか。行き場を失った森の陰鬱な空気が、どんよりと澱んでいるような気がする。

 鳥の声が聞こえない。

 風の音が聞こえない。

 森を激しく打ち続ける雨音以外何も耳に入らない。やがてその単調な音の連続は、ぼくの聴覚を刺激しなくなった。

 音の無い深緑の静止画像を透明な雨が滴り落ちている。

 
 生まれたままの姿をした動植物たちは野生の色合いの中に溶け込んでいる。間然することがない自然色の調和。

 ところが、この森への闖入者はダークブルーのレインジャケットに身を包み、二酸化炭素を吐き出している。

 ふと誰かに見られているような気がした。

 周りを見渡してみるが、どこにも人影らしきものはない。人間はぼくだけだ。どうしようもないほどの疎外感。ぼくはここでは完全に異物だ。

 小さな虫がぼくの顔近くを舞っている。まるで「ここから出てゆけ」と言わんばかりに。

  …ぼくは木になろうと思った。

 そう思ったのが先なのか、あるいは肉体が森に同化しようとする反応を示したのが先なのか。とにかくぼくは、この正体不明の不気味な視線から早く逃れたかった。

 精神をゆっくりと深く集中して木の気持ちになりきってみる。

 次第に心拍数が減少し、交感神経の活動が低下してゆく。恐れや不安といった感情の動きが鈍化してゆく。やがて体温が下がり、呼吸数が減少する。

 …そうしてついにはあらゆる動物性器官がその機能を停止し、両下肢が腐葉土の下へと潜ってゆく。地下では足の爪が伸び、やがてそれが根になり枝分かれしてゆく。根は土中の水分を力強く吸い上げ始めた。

 ぼくは移動することができない。ぼくの知っている世界は、眼前に広がる一八〇度の景色だけだ。

 さっきまでは、自分にまとわりつく小さな虫が鬱陶しくて仕方なかったのに、今では掛け替えのない友達のように感じる。とても不思議な気分だ。  

 ぼくは何十年という間、この場所の季節の変遷だけを繰り返し見てきた。しかし一度として同じ春はなかった。毎年それぞれに違う季節が訪れた。ある年は顔見知りの鳥の雛が成長して戻ってきたし、またある年は仲間が洪水で倒れたりもした。

 こんなに狭い空間にも、様々な出来事や生き物たちの生死があった。ぼくを取り巻く一つ一つのいのちに物語があった。

 
 ぼくが木になってから既に小一時間が経った。雨は多少勢いを失ってはいるが、止むけはいはない。真夏の晴天下といえども、この森は肌寒いことがある。その森で一時間以上も雨にさらされ続けている。

 植物とは程遠い血のかよった肉体に、寒さがじわじわと沁み入ってくる。ぼくの精神が非現実の時空をさまよっている間も、重力に抗して直立静止していた肉体の疲労と森の冷気が、ぼくの意識を本来の場所へ連れ戻してくれた。

 重だるくなった足や肩を動かしていると、急に森全体が明るくなった。相変わらず雨は降っているが、確かに日が射し込んでいる。

 ふと横を見ると、その先の林床に幾つもの木洩れ日が鮮やかな円の模様を作り出していた。あまだれに濡れた葉や苔がそこだけ輝いて、柔らかな緑色を発している。その光と雫がはじけて、無数のきらめきを辺り一面に放っている。

 その光景は数分の後に消えてしまったが、暗い雨下の森に束の間降臨した光華の余韻に、ぼくはしばし陶然と浸っていた。

 もしも、ぼくが再び木になっていたら、森の精霊のウィンクを見ることができたかもしれない…。

2000年 8月