当記事は2000〜2001年にかけて季刊誌に連載していたエッセイです。
軽井沢の夏の終焉。
季節が動いてゆく。わくら葉が一枚、そしてまた一枚と音も無く下りてくる。まるで力尽きた蝶が大地の引力に誘われて眠るように。
夏でもなく冬でもない曖昧な日差しが街路を照らしている。その光に、冷たく吹き渡る高原の風を抱きとめる強さは、既にない。
太陽が逃げてゆく。
別荘地に積み上げられた浅間石の苔がくすんでいる。苔を潤すはずの霧に、真夏の力がない。森の頭をさらりと撫でて通り過ぎてゆく。
水の蒸発を許さない重い空気に霧が沈んでいたあの頃の、むせかえるような草いきれと木の薫り。それらは記憶の彼方で来夏を待っている。
門柱同志を結ぶ鎖が風に揺れている。その先の向こうには主人が帰ったあとの古びた別荘が佇んでいる。周囲は木々に囲まれ、苔の群生がその足下を縫うようにして辺り一面に広がっている。
樅の木と落葉松の隙間から射し込んだ光が、気を失っているかのように生気を感じない苔の海に白と緑の陰影を描き出していた。
高原の季節は独りでにめくられる八頁の絵本。最初の見開きの二頁が春で、頁をめくる度に次の季節が現れる。今年、春から夏へとめくられる速さはとてもスローだった。
けれども、その次の頁はあっという間に折り返されてしまった。子供が無造作にめくるようにしてぱらりと夏が終わり、秋が来た。
軽井沢の秋は、都会育ちの人間にとっては冬。九月下旬のきょうの最低気温は六度。うっかりすると秋は知らぬ間に通り過ぎていってしまう。
秋の頁をしかと脳裏に焼き付けておかねば。この頁がめくられる時は、夏のそれと同じくらい速いはずだ。冬は突然にやってくる。
「コスモスを見たい」と妻が言った。ぼくは「それなら町の至る所に咲いている」と答えた。
「そうではなくて、牧場の丘に広がるコスモス畑が見たい」と彼女が言った。
ぼくが「そんな場所が近くにあるのか」と尋ねると、「内山牧場というところにある」と彼女は嬉しそうに答えた。テレビのニュース番組で紹介されていたのを見たらしい。
内山牧場なら知っている。前に一度近くまで行ったことがある。確か車で四〇分くらいだった。ぼくがドライブマップでその場所を確認していると、彼女は既に出かける準備を終えていた。
長野と群馬の県境を走る有料林道の終点近くに「内山牧場」はある。曇天の今朝、ぼくたちは中軽井沢の自宅を出て南軽井沢方面へと向かった。
ゴルフ場を左右に見て数分走った後、国道から脇に逸れて山の奥深くへと続く林道に入った。ここからが有料道路の「妙義荒船林道」だ。
林道を覆う緑はまだかろうじて濃い。紅葉予備軍の木々たちが染まらずにじっと耐えている。
車の窓を全開にして森の空気を車内に満たしながら走る。車の速度を上げるとかなり寒い。だからゆっくりと走る。大人が歩くのとほとんど変わらない速度。のろりのろりと林道を進んでゆく。
しばらく走ると俄かに風が変わった。頬が痛い。たまらず窓を閉める。だいぶ標高が高くなったようだ。右手の林の切れ目から軽井沢の町を一望することができる。
つまり標高一〇〇〇メートルの町を眼下に見下ろしている。どうりで風が冷たいわけだ。その先には空を占領している浅間山。最近ちょっと不穏な動きを見せている。噴煙が気になったが、頂きは雲の中。
雲間から日が差し込んできたのと眼前の視界が開けたのとは、ほとんど同時だった。林道は太陽に導かれるように空へと向かっていた。そして車は広大な牧場の中を走っていた。
そのまま車を走らせていると、「大コスモス園」という立て看板が目に入った。矢印に従って進み、目的地へと着いた。
駐車場に隣接している売店の脇に小径が丘に向かって伸びている。そこが入口らしい。平日にも拘らずわりと人が多い。
その小径を歩き出した時、カメラを忘れたことに気づいたが、さっきの売店で使い捨てカメラを買うという知恵がまわらないほど、ぼくは興奮していた。周囲を人の背丈ほどもある無数のコスモスに囲まれていたのだ。
そしてその小径を登ってゆくと、本当にそこは一面のコスモス畑だった。小さな丘の緩やかな斜面全てがコスモスで埋まっていた。
コスモス畑の中を縦横に小径が伸びている。丘の上から眺めると、コスモス畑の中に観光客が点在しているという光景。
その斜面の後方に目を向けると、絶壁を剥き出しにしている荒船山と群馬の山々。反転して眼下のコスモス畑の向こう側には針葉樹の林。その真上に覆い被さる雲の連なり。上空の僅かな雲間から届いた日光がこの丘を照らしてはいるが、手を伸ばせば触れそうなほどに近い空を次々に厚い雲が流れてゆく。
ぼくたちは比較的背の低いコスモスの中にしゃがみ込んで間近に花を見た。すらりと伸びた茎の先に爪楊枝ほどの線状の葉が頼りなくゆれている。その上に白やピンクや紫の花が惜し気もなく花弁を開いていた。
ここは風が強い。丘の下はさほど吹いていなかった。どうやら風の通り道のようだ。その細身に似合わず、コスモスの茎は風に吹かれて大きくしなりながらも、しなやかに力強く耐えていた。
コスモスの群落に混じって、アザミや月見草などが彩りを添えている。なかでもオオケタデ(タデ科の山野草)のかわいらしい姿が目を引いた。コスモスと同じくらいの背丈があり、先端に赤紫色の小さな粒状の房が垂れ下がっている。
それらがコスモスの色合いに微妙なアクセントを与えていた。
上空の雲は一時も休むことなく慌しい。大きな塊が徐々にちぎられて、か細い白の浮遊物がやがて遠い蒼に溶けてゆく。あの蒼の向こうには遥かなる宇宙。
標高二五〇〇メートルのメキシコ中央高原で生まれたコスモスは、十八世紀後半に欧州へ運ばれ、「装飾、秩序、調和」を意味するギリシャ語のkosmosから命名された。
古代、ピタゴラス、プラトン、アリストテレスらによって提唱されてきた観念的な宇宙という概念は「秩序と調和の世界」すなわちkosmosと表記されていた。現在も英語のcosmosは宇宙を意味する言葉として使われている。
日本には明治中期頃に種子が持ち込まれ、全国に広まっていったが、漢字表記は「宇宙」ではなく「秋桜」になった。
雲と蒼い空とコスモス。風が雲を動かしてゆく。風がコスモス畑をゆらしている。
丘に咲くコスモスは、空を見ていた。宇宙が語りかける言葉にじっと耳を傾けていた。
風が言葉を運んだ。風は宇宙の見えざる手。風が秋の頁をそっとめくろうとしている。コスモスは黙ってそれを見ている。ぼくたちも一緒に見ている。
広大なコスモス畑で、コオロギが休むことなく鳴き続けていた。
2000年 9月
「軽井沢/エッセイ」-目次(リンク表示)
1 ミレニアムの夜明け
2 音楽療法
3 天明の大噴火
4 自然と五感と恋心
5 青天の霹靂
6 湯川の森-ヒグラシの調べ-
7 湯川の森-精霊のウィンク-
8 コスモス畑
9 稚児池
10 避暑地の猫
11 最終章Ⅰ-動機-
12 最終章Ⅱ-痛みとプラセボ効果-
13 最終章Ⅲ-心と痛みの関係-
14 最終章Ⅳ-生きる-
(C)2001三上敦士