当記事は2000〜2001年にかけて季刊誌に連載していたエッセイです。
当記事は2000〜2001年にかけて季刊誌に連載していたエッセイです。
突然、ベランダの方で、何やらガサガサという物音が。
「なんだ?今の音…」
「何かしら?」
妻が恐る恐る窓を開けると、
「あらっ、猫!」
ベランダに置いてあった生ゴミの袋をあさっていた猫が、咄嗟に身を翻して逃げて行った。あとには破り裂かれたビニール袋と散乱した昆布の佃煮。
「まあっ、カラスの仕業かと思っていたら、猫だったのね」
「見事にやられたな」
以前にも同様のことがあったのだが、ぼくらはてっきりカラスの仕業だと思い込んでいた。一階の角部屋とはいえ、コンクリート製のベランダの塀は一五〇センチメートルほどの高さがある。多少遮蔽されたスペースに安心感を持っていた。
猫の運動能力からすれば朝飯前の芸当ではあろうが、それにしても、まさか飛び越えて入って来るとは容易に想像できなかった。
「だけど今の猫、首輪をしていたよな」
「うん…」
たぶんどこかの飼い猫だろう。妻がベランダの後始末をしている横で、ぼくはある一匹の猫のことを思い出していた。
昨年まで、ぼくの住むこの賃貸アパートのすぐ裏にもう一軒アパートがあった。年季の入った木造平屋建てで、塗り壁には幾つもの亀裂が入り、木板でできた外壁部分も所々が腐って剥がれ落ちていた。
和室の窓は、今となっては寒冷地では常識と言えるペアガラスではなく、一枚ガラスと破れた障子だけだった。東京育ちでしかも冷性のぼくには、冬を越すことなど到底不可能に思える建物だった。
そのアパートの東端、つまりぼくの部屋の真後ろにあたるところに、ある家族が暮していた。小学生くらいの子供が自転車で遊んだり、サッカーボールを蹴っている姿をよく見かけた。兄と妹の二人だったと思う。
その家のお母さんが軒先で洗濯物を干している横に、いつも白い猫がいた。
左目の下に黒い傷のようなものがあり、あまりきれいな猫ではなかった。首輪をしていなかったが、餌を与えられ、夜は部屋の中で過ごしていたようなので、世間一般の常識では飼い猫ということになるだろう。夕方頃、縁側でじっと待っている猫を家人が窓を開けて入れているのを何度か目撃した。
昨年の夏頃、突然そのアパートが消滅した。朝仕事に出かける時はいつもと変わらぬ風景だったのに、夜に戻ってみると、アパートは木の残骸と化して敷地の隅に山積みされていた。突如出現した風通しのよい空間の向こうに、幾つかの星が瞬いているのが見えた。
アパートが取り壊される数週間前にその家族はどこかへ引っ越したらしく、いつの間にか部屋はもぬけの殻になっていた。特に付き合いがあったわけでもなく、時折軽い挨拶を交わす程度の間柄であったので、まあ、そんなものなのだろう。
その後、空き地は駐車場になった。あの家族が住んでいた場所に、今ではぼくの車が停まっている。
その数ヶ月後、紅葉した落葉樹の葉が枯れ葉となって道端をさすらう頃、あの白い猫と再会した。
その日、仕事から戻り、夕陽に染まる車から降りると、見覚えのある白い猫が駐車場の隅に寝そべっていた。
以前より少し痩せてはいたが、紛れもなくあの猫だった。どうしたのだろう。何故まだここにいるのだろう。あの家族といっしょではなかったのか。
ぼくはなんとなく見過ごせない気分になった。思わず歩み寄ると、その猫は甘えるような声で鳴きながら足下に近寄って来た。すると猫が苦手な妻が、やめてちょうだいと、泣きそうな顔で逃げて行った。
その声にぼくは我に返り思い直した。一度たりとも優しさと温もりを与えてしまえば、この猫はぼくに何かを期待することになるだろう。ぼくはその期待に答えることができない。猫を飼った経験がないし、ぼくのアパートはペット禁止なのだ。
継続の有り得ない行きずりの所業は、動物に対し罪深い。野生の猿に餌を与える行為も、森の中の別荘地において、熊の餌になると承知していながら時間外にゴミを出す行為も、いずれ動物たちに悲劇を招くことになる。
猫の場合、野生の動物とはやや事情が異なるが、人間の一時的な感傷の犠牲にするわけにはいかない。
かわいそうだったが、ぼくは踵を返して玄関へ向かった。猫はあとを追って来た。ドアを閉めて覗き穴から外を見ると、廊下に座り込んで、ミャーミャーと鳴き続けている。なんとも切ない気分になった。これから冬を迎え、氷点下十五度にまで冷え込むこの地で、どうやって生きてゆくのだろう。
あいつは必死なのだ。本格的な冬が到来する前に新しい飼い主を見つけなくてはならない。その執念がひしひしと伝わってきた。およそそれまで聞いたことのないような大きな声で鳴き続け、しばらくの間その場から動かなかった。
ぼくはなんだか怖くなってしまった。犬は飼ったことがあるので、ある程度その行動を理解することができる。しかし猫のこうした行動はそれまで見たことがなかった。人間に媚びることのないドライな動物だという先入観があった。あまりに生々しい生き物の生存本能の発露に、ぼくは圧倒された。
その後も何度か同じようなことがあり、ぼくたちはその度に逃げるようにして部屋へ駆け込んだ。あまりに不憫に思ったのだろう。アパートの他の住人が建物の入口近くに煮干を置いていたこともあった。
そのうちに猫はぼくを見ても寄ってこなくなった。もはやこの人間に見込みはないと、ようやく見限ってくれたのだろう。
やがて浅間山が白くなった頃、西風が頬を突き刺す駐車場で、停めたばかりの車のボンネットの上に丸まっている姿を見かけたが、それ以来二度と見ることはなかった。
今から二十数年前、ぼくは生まれて初めて大人の付き添わない親友同志の旅行をした。中学ニ年の春休み、ぼくとKとMの三人は上野駅で待ち合わせをして、信越線の特急「あさま」に乗り込んだ。
Kの親戚が小諸に住んでおり、そこに二泊する旅程だった。三年に進級すると同時に転校するぼくのために計画された、最後の「お別れ旅行」だった。
監視役の大人がいない旅行は、冒険と自立の感慨にあふれ、世界が一変したような興奮を覚えた。見るもの全てが新鮮に映った。
中学生のたあいもない会話が続く中、列車は横川に到着した。この駅で釜飯弁当を買い、登山用の電気機関車との連結を眺めたりした。
今にして思えば、この横川駅での数分間というものは、かつてのアプト式鉄道ほどではないにせよ、いよいよ碓氷峠を越えるのだというある種の覚悟と言うか、心の準備をする一つの儀式のようなものではなかっただろうか。
耳の異変を感じ、数回ほど唾を飲み込んで気圧の調節をしながら、幾つものトンネルを越えて軽井沢高原に着いた。
そして軽井沢駅から中軽井沢駅へと走る列車の窓から、ぼくらはついにそれを見た。
大きかった。威風堂々たる神々しさに満ちて美しかった。列車と平行して走る国道十八号の真上にいきなり立ち上がるようにして聳え、空へ向かって突き出した上半身を真綿色の雪に覆われ、ぼくらを真上から見下ろしていた。列車の背後から降り注ぐ春の陽射しは、積もった雪を光らせ、山肌の襞と輪郭を鮮やかに浮かび上がらせていた。
これがぼくと浅間山との出会いだった。
ぼくらは中軽井沢駅で途中下車し、貸し自転車に乗って周辺に広がる曠野を走り回った。数日前に降り積もった雪が溶けずに残っており、日に照らされた雪がまぶしかった。野原に点在する雑木林の中で小径から逸れて迷ったりもしたが、そんな時は浅間山がぼくらに方角を教えてくれた。
そして時が流れ、その野原は時代と共に変遷を重ねた。幾つかの雑木林がなくなり、車道が敷かれ、その道路沿いに住宅地が広がり、ペンションが立ち並び、新幹線の高架線が貫き、大型商店が進出した。至る所に造られたテニスコートは、テニスブームの後退と共に駐車場や賃貸アパートへと姿を変えていった。
変わったのは景色だけではない。子供もまた大人へと変貌してゆく。KやMとは、今では音信不通となり、連絡先すら分からない。
この二〇数年の間に、麓の風景も人の歩みも変わってしまったが、浅間山だけはあの時のまま、今も変わらない。
現在ぼくの住んでいるアパートは、あの日サイクリングを楽しんだ曠野の一角にある。この場所からは数十メートルほど北に歩かないと浅間山を望むことはできないが、裏のアパートが無くなったおかげで、浅間山に寄り添うように屹立する剣ヶ峰が寝室から見えるようになった。
道路を隔てた向かい側には私大の保養地があり、その敷地内に樅の木と落葉樹の林が広がっている。
先日ベランダに侵入した白い猫が、実はさっきもやってきた。部屋でこの原稿を書いている最中だった。偶然とはおそろしいものだ。ちょうど冒頭の部分を書いている時、それと同じことをされていたのだ。気付くのが遅れてしまい、見つけた時にはことが終わっていた。
猫はこちらが手荒いまねをしないのをいいことに、たいして遠くに逃げもせず、してやったりという顔で舌なめずりをしていた。首輪をつけているし、毛並みもきれいな猫なので、餌に困っているとは思えない。どうやら暇つぶしに遊びに来ているらしかった。
ぼくは少し癪に障ったので、この際小休止をとって、こっそりと後をつけることにした。けれども間抜けなことに尾行はすぐにばれてしまい、猫は時折振り返ってはぼくとの距離を測りつつ、機を見て林の中へと走り去って行った。
今、薄暮の窓外に雪がちらつき始めている。浅間山に三度雪が降ると、四度目には軽井沢の町に雪が降ると地元の人が言っていた。その通りになった。高原に白い冬が舞い降りてきた。
2000年 12月
「軽井沢/エッセイ」-目次(リンク表示)
1 ミレニアムの夜明け
2 音楽療法
3 天明の大噴火
4 自然と五感と恋心
5 青天の霹靂
6 湯川の森-ヒグラシの調べ-
7 湯川の森-精霊のウィンク-
8 コスモス畑
9 稚児池
10 避暑地の猫
11 最終章Ⅰ-動機-
12 最終章Ⅱ-痛みとプラセボ効果-
13 最終章Ⅲ-心と痛みの関係-
14 最終章Ⅳ-生きる-
(C)2001三上敦士