15年前の9月深夜、それは突然やってきました。異様な腹痛で目を覚ますと、肛門様から「起きろー!トイレに行けえー!」という強烈な指令が。

 おそらく人生の中で1位2位を争うほどの激痛と闘いながら、救急車を呼ぶべきか否かの自問自答を繰り返しつつ、結局そのままトイレ内で一夜を明かしました。

 その日を境に自分の中の何かが壊れたというか、何を食べても栄養が吸収されない空疎な感覚。自分の胃腸がまるで無機質なゴムホースと化して食べ物が素通りしていく感じ…。

 その半年後、腹痛➡激しい下痢➡大量の下血というパターンが出現!

 あるときからそれが完全に日常化し、一日にトイレに駆け込む回数は10~30回…(´;ω;`)ウゥゥ

 仕事のない休日、私にとっての“居間”はトイレ(リビングにいる時間よりトイレにいる時間の方が長かった…)。

 便座に長時間座っていると、太ももから下の足がシビレてきて、立ち上がれなくなることが多かったので、便座に手作りのクッションを敷いてました…。

 当時、埼玉県の大宮駅近くで完全予約制(1時間に1人)の治療院を営んでいた私は、一人の患者さんの施術が終わる度トイレに駆け込むという日々。そして毎回、便器は真っ赤に染まり…(大げさじゃなくて本当に凄まじいほどの粘血便と大出血でした)。

 その惨状を目の当たりにする度「こりゃ、マジで死ぬかも」と思いつつも、「見なかったことにしよう」というような、どこか現実逃避に近い心理状態だったのを覚えてます。

 この頃から大好きだった映画館にも行けなくなりました。自宅から職場まで車で20分くらいだったんですが、外出はそれが限度。電車やバスに乗るのは恐ろし過ぎて無理、「あり得ない」という感覚でした。

 そんな状態が半年以上続き、70キロ近くあった体重は、なんと50キロに!当然ながら家内や周囲の人たちから病院に行くよう強く勧められ…。
 
 しかし私は頑なに拒み続けてました。

 当時の心境は「事ここに至っては、もはや手遅れ…。おそらく大腸癌の末期だろう。今このタイミングで事実を突きつけられたら、自分の精神はもたない。心が折れて命の炎も速攻で尽きてしまう。知らずにいたほうが多少なりとも長生きできるんじゃないか…」

 ところがそんなある日、家内が「ねえ、なんか私の肛門、最近変な感じなの。恥ずかしいけどちょっと診てくれる?」

 診てみると、なんとも巨大な“いぼ痔”がぴょこたんと!膨らんでこちらを睨んでるぅぅ。「なんだこりゃー!これは絶対病院行かないとダメだー」と、家内を直腸肛門科へ連れて行くことに。

 妻を病院に連れて行ったとき、「ついでだから、あっちゃんも診てもらいなよ~、お願いだから診察を受けて~」と泣きつかれ(当時は私のことをあっちゃんって呼んでたのを思い出した。今はアツシさんになってるけど、その理由は母と同居し始めたせい?)。

 「ああ、これはもう観念しなさいってことだな、自分も診察を受けろってことかあ」と、諦観の境地…。

 
 ということで、生まれて初めて大腸内視鏡検査を受けることに。今から15年前のこと、当時の下剤ドリンクの不味さはハンパなかった…。必死の思いで飲んだっけ(今は多少マシになっているらしい?)。

 んで、「大腸がんのステージは?自分に残された時間はあとどのくらい?」という思いを巡らせつつ、検査結果を聞くことに。

「こりゃ酷いなあ、重症だよ。なんでこんなになるまで放っておいたの?場合によっては大腸の全摘手術になるかもよ、このまま入院だね」と言われ、病名(この記事のタイトル)を告げられました。

 その刹那、心の中で「うおぉぉ~、そっちだったかあ~!」と、この上ない安堵感、九死に一生を得たような解放感、死が遠ざかる無上の喜びを感じました。あのときの診察光景は一生忘れられない。

 もちろん事前にあれこれ調べて、自分の症状を説明し得る可能性の一つとして、潰瘍性大腸炎(UC)は頭にあったけれど、それ以上にガン恐怖に慄いていた私…。

 にしても、難病に侵された事実を知らされて快哉を叫んだというのは、私ぐらいでしょうね。めったに聞かない話です(笑)。

 何はともあれ家内の巨大いぼ痔のおかげで、末期がんの妄想、呪縛から解き放たれることができました。 
 
 潰瘍性大腸炎は国の難病指定。その手続きを経て薬代がかなり割安になり助かりました。しかし「決して治ることのない難病(医学書の説明)」であり、実際「緩解と再燃を繰り返す」日々…。

 そんなあるとき、研究会仲間の先生から「甲田式断食療法」という本を紹介され、その中身に衝撃を受けました。世の中には断食によってガンや様々な難病を克服された人々が大勢いるという事実!そういう世界があるのを初めて知りました。

 その本を紹介してくれた先生も、いぼ痔を作ってくれた家内も、私にとってはまさしく命の恩人。

 そして、その本をきっかけに食事療法という未知の世界に飛び込んでいきました。ありとあらゆる関連書籍を取り寄せて、食と健康に関わる様々な知識を身につけて試していく日々…。

 ベジタリアン、マクロビ、グルテンフリー、牛乳や白砂糖の問題、トランス脂肪酸など油の問題、食品添加物の問題、生菜食療法、自然栽培、ビーガン、ローフード等々、世界中にある食事療法を次々に実践していきました。

 そうして発症から2年が経過した頃、食事療法の効果を感じつつ未来への確信を抱いたとき、自らの意思で主治医との関係を断ち、薬も止めました

 さらにその8年後、「甲田式断食」を軸に据えた半日断食(1日2食)および1年に1回の1週間断食を経て、ついに完全克服と呼べる状態に。

 2020年現在「完治」と断言できる状態になっています。

 たとえ医学的には「不治の病」だとしても、個人的には間違いなく「完治」という現実。これこそが私が主張している「超個体差」なんです。

 

 他の記事でも記したとおり「西洋医学は個体差を無視する学問であり、東洋医学は個体差を重視する学問」という見解は、自らの体験にも裏打ちされた至言。

 私にとって治癒を決定づける「とどめの一撃」は断食だったと思っていますが、その一撃がほかの誰かにとっては別の手段かもしれないし、中には「私も」という人もいるでしょう。

 断食と相性のいい体を持っている人もいれば、そうでない人もいます。何事においても相性すなわち親和性という次元があります。

 こうした方法論的個体差は本当に大切な視点。もっと多くの医療者に知ってほしいし、もちろん患者さん方にも…。


 今、ぼくはBReINという多種類の施術を組み合わせる統合療法を行っています。これは脳の弾塑性(自己回復力と神経可塑性)を促すことを目的にした治療体系ですが、潰瘍性大腸炎(UC)にも劇的な効果を発揮します。

 UCに対する統合療法…、食事療法をベースにしつつタッチングやカウンセリングなども併用していきます

 なかでも一番重要なアプローチは?

 私の体験談から推して、「食事療法?」と思われるかもしれませんが、実はそうではありません。本当に意外な事実なんですが、圧倒的に“カウンセリング”なんです。

 「治療の成否を決めるのはほぼカウンセリング」と言っても過言ではないです。

 先日、NHKのBSで“脳腸相関”をテーマにした番組が放映されました。腸壁に内臓されている神経ネットワークは非常に高度な情報処理を行っており、腸のセンサーが様々な情報をキャッチし、多様なシグナルを脳に届けているという内容でした。

NHKBSP「ヒューマニエンス 40億年のたくらみ」より

 同時に脳と腸は想像を絶するほどに密接な関係性を有しており、「脳が変わると腸も変わる、その反対も然り」ということが分かってきたのです。

NHKBSP「ヒューマニエンス 40億年のたくらみ」より

 私が診た患者さんの中に、壮絶な嫁姑問題を抱える最中にUCを発症し、姑が亡くなった途端に完治してしまった人がいます。また長年の夢だった割烹料理のお店を出して充実した日々を過ごす中で、重度UCの大腸が担当医が目を疑うほどに綺麗になっていた(完治)という方もいます。

 こうした事例を数多く診てきた実感として「UCとはそもそも心療内科領域の疾患ではないか」という印象があります。ぶっちゃけ「UCとこころの次元は切っても切り離せない」というのが私の見方です。

 つまり過敏性腸症候群に象徴されるように、消化器系の問題は炎症の強弱に依らず、そもそもメンタルとの関係性を無視してはいけない疾患群だと考えています。NHKが取り上げたように、昨今の脳腸相関を示す様々な研究報告が全てを物語っています。

 某国のリーダーが退陣した経緯も、分かりやすいくらいに「メンタル→UCの悪化」という流れでした。

 かく言う私も、UC発症の時期はそれまで勤めていた整形外科を退職し、独立開業して間もない頃で、本当に様々な葛藤やプレッシャーを抱えていました。

 その後、UCとの格闘の日々にあっては食事療法のみならず、セルフタッチングの開発や温泉療法、そしてストレスコーピング系のセミナーに行ったり、心理学やセルフケア系の書籍を読み漁ったりしつつ、自身のメンタルの問題と向き合い続けました。

 

 ですから、最終的に何が一番効果があったのかと問われれば、「手段としては断食の効果を一番感じたけれど、最終的に一番変わった場所は?と問われれば、“ここ“でしょうね」と、自分の頭を指差して答えます。

 変わったのは「脳」だと。もちろんチキンオアザエッグがあるので、どっちが先かは微妙なところです。「脳が先か、腸が先か」は定かではありませんが。

 いずれにせよ物事に対する考え方(思考モデル)、ヒューリスティック(バイアス)あるいはマインドセットというものは、自分で言うのも何ですが大きく変わったと思ってます。

 同時にそれまで超低空飛行を続けていた自己肯定感や自己効力感が上昇し、ストレス耐性が増してレジリエンスが向上したと感じてます。

 私が完治した理由は、食事療法、温泉療法、セルフタッチング、メンタルケア等々の複合的な要因が重なった結果と言えるのではないか…。

 分かりやすく言えば、合わせ技一本!ミックス効果!

 ただし、こうした複合的な効果発現においてはメンタルを置き去りにしたままでは極めて限定的という実感があります。

 多くの症例を診てきた経験値として、メンタルの次元を忌避する人と受け入れる人では、その予後がまったく違ってくるからです。後者の方が間違いなく予後が安定します。

 UCに対しては、便移植療法(FMT)をはじめ様々な治療法が取り沙汰されていますが、メンタルの次元が取り残されたままでは、真に安定した予後が約束される、すなわち私のように本物の完治と呼べる状態にもっていくことはむつかしいのではないでしょうか。

 心身相関を無視する現代医学の在り様は、私の眼にはとても奇異に映ります。向こうにしてみれば、こちらのほうがよほど非常識に映るのでしょうけれど。
 

 従来の治療(病院への通院)で緩解と再燃を繰り返している人、緩解すら遠い人、薬に頼らない健康観(内的統制※)を身につけたい人、既存医学を盲信しない人、思考の柔軟性を持っている人にとって、メンタル重視の統合療法は大いなる可能性を秘めています。

※内的統制…心理学用語。原因は自分にあると考えて、自身を変えることで環境適応を図ること。またはその傾向が強い人。他方、原因は外にあると考えて、周囲の環境や他者を変えようとするのは“外的統制”。

 内的統制型の人は内的防衛(例えば、自身の免疫機能を高めることで自身の健康維持を図る)の医療観を、外的統制型の人は外的防衛(薬の処方に頼る)の医療観を抱きやすい傾向があります。

 全人医療的なアプローチは内的統制型の人と親和性が高いことが分かっています。

 私が行っている統合療法は全人医療的な姿勢がベースにありますが、同様の理念を掲げる医療現場はまだまだ少ないのが実状。メンタル外来を除いた医療現場のほとんどが「肉体を変えればいい、脳は関係ない」というスタンス。

 ですが、最近少しずつ風向きが変わりつつあるように感じてます。